東京通信19 東京と豚骨ラーメン

Date:2017年08月18日13時01分 | Category:東京通信 | Writer:小川祥平


東京と豚骨ラーメン

 一九九〇年代、私が大学進学のために上京した頃、東京では豚骨ラーメンが普通に食べられていた。後にテレビで活躍する川原ひろしさん経営の「なんでんかんでん」には深夜の行列ができ、秋葉原や原宿の「九州じゃんがら」は大人気。「博多一風堂」も既に進出していた。都会での初めての一人暮らしで故郷の味をかみしめられるのは本当にありがたかった。

 なんでんかんでんの料理人で、現在は東京・杉並で「御天」を経営する岩佐俊孝さんによると、当時は八十年代から続く豚骨ブームの真っ只中。そして、そのブームの火付け役とされるのが西麻布に店を構える「赤のれん」だった。

 創業は七八年。「福岡とは縁もゆかりもない赤坂英晃さんが福岡で修行したんですよ」。開店間もない頃から働く店長の鈴木正明さんはそう話す。バンドマンだった赤坂さんはラーメン店経営を思い立ち、流行していたみそではなく豚骨に注目した。福岡、久留米、鹿児島のラーメンを食べ歩く中で、一番気に入ったのが福岡市東区箱崎にあった「赤のれん」(現在は中央区大名で営業)だった。

 箱崎の店を切り盛りしていた津田茂さんは、客とけんかすることもしばしばという昔気質の職人。赤坂さんが「修行させてほしい」と切り出したらしいが、当然のように断られた。しかし、客として通い続けるうちに津田さんが折れた。住み込みで働きながら味を受け継ぎ、東京に豚骨を持ち込んだ。

 「博多での思い出の味と同じだった。東京でも食べられるんだと感動しましたよ」。そう振り返るのは森山久雄さん(七十)だ。森山さんは五十年以上前の九州大学一年の頃、下宿近くにあった赤のれんの一杯に衝撃を受け、とりこになった。金銭的な余裕がない中でも週一回は食べていたが、都銀に就職し、大阪に転勤してからは疎遠になっていた。

 久々の再会は八十年頃。東京での勤務となり、西麻布に赤のれんが出来たことを知って足を運んだ。「ちょうどライオンズも所沢に移転した頃。ラーメンとライオンズの両方が来てくれたので二重の喜びでした」と話す。

 私も鈴木さんが作った一杯を頂いた。しょうゆがかった香ばしい豚骨スープに平細麺が絡む赤のれん独特の味。私も中高生時代によく食べていたので、懐かしさが蘇ってきた。

 森山さんも同じような思いなのだろう。今でも機会を見つけては東京の赤のれんを訪れ、毎年福岡にも行き、福岡の赤のれんも味わうという。「味を守ってくれているのはうれしい。ただ、味だけでなく、十八歳の頃からの五十年以上の記憶、思い出と一緒にラーメンをすすっている気がします」。森山さんのしみじみとした言葉が印象的だった。

 たかが一杯、されど一杯。故郷から離れても、どこかでつながっている―。ラーメンはそんな感覚の拠り所にもなり得るのかもしれない。


鈴木正明さんが作った「赤のれん」の一杯

文・写真小川祥平
1977年生まれ。7月まで西日本新聞東京支社で文化担当記者として勤務。現在本社文化部。日本酒とラーメンを愛する。