世は万華鏡25・「便器に散骨」という決算書

世は万華鏡25・「便器に散骨」という決算書


「便器に散骨」という決算書

スーパーのトイレに妻の遺骨を捨てた夫が死体遺棄容疑で書類送検された、と新聞が伝えていた。

夫(68)は4月23日午後、東京練馬のスーパーの男性用トイレの便器内に妻(64歳で病死、23日に火葬)の頭や顎の骨を捨てた。

26日、骨壺を持って警察に出頭。壺の中にあった骨と、便器から見つかった骨を鑑定した結果、継ぎ目が合致することが確認された。

夫と妻は二人暮らし。夫は「生前、妻に苦労をかけられ、憎んでいた」と話しているという。

夫であれば妻に、妻であれば夫に、「別の人と一緒になっていれば違った人生があったのでは…」「いまよりもっと幸せな生活が送れたのでは…」。長く夫婦をやっていれば、誰もが一度はそんな思いがよぎることがあるだろう(私?毎日のようによぎっていますが、それが何か?)。
結婚とは生まれた時も、場所もまったく違い、育った環境もまったく別な他人同士が一緒になって暮らすこと。そこには当然、戸惑いや葛藤、ぶつかり合いが生まれる。

しかし、月並みな言い方だが、夫婦はそんな「大喧嘩」「小喧嘩」を通して相手を忖度し、自分を変え、妥協し、和解し合いながら、二人でひとつの人生を築き上げていく。

だから人生最大の伴走者を失ったときに、立ち上がれないほどの傷を負う。とくに、年配者になると、夫を失った妻よりも妻を失った夫の心の空洞がはるかに深くて暗い。妻の死後、放心状態になってみずから命を絶ち、健康を害して妻のあとを追うように亡くなる人も少なくない。

私の知人は60代を目前にして妻を失った。子どもたちは早くに独立し、妻と二人暮らしが長かったこともあり、待つ人がいない家に帰る気にはならなかった。

休日、ひとり自宅にいれば、妻の声がいまにも聞こえてくるようで、胸が締め付けられそうだった。5年を経たいま、喪失という現実をようやく受容できるようになったという。
『婦人公論』に「夫の定年後。この先の夫婦関係、どうしたい?」特集。その中に「もう顔も見たくない。できれば早く死んでほしい。それも介護なしでぽっくりと」(妻68歳・夫69歳/定年後7年2か月)。ひぇー!

人生いろいろ、夫婦もいろいろ。「便器に散骨」は確かに切な過ぎるが、夫婦のドラマが最終章を迎えたとき、築き上げてきた愛と憎悪の遍歴次第ではそうした形での決算書もあり得るのだろう。
(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)



馬場周一郎=文
幸尾螢水=イラスト

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