世は万華鏡15・定年後の市場価値

世は万華鏡15・定年後の市場価値


定年後の市場価値

村上龍の『55歳からのハローライフ』(幻冬舎刊)に、家具メーカーを早期退職した58歳の元営業マン富裕とみひろ太郎が出てくる。妻とキャンピングカーで全国各地を旅するのが夢だ。

ところが妻は乗ってこない。娘に尋ねた。「お母さん、おれとの旅行がいやなのかな」。「いやっていうわけじゃなくて、誰だって自分の時間って大事よ。どうお父さん、再就職したら」。

退職から2カ月。思い切って現役当時の取引先の顔見知りを訪ねた。「働かせてもらえないかな」。その途端、態度が急変。「うちは人員整理したいくらいです。鼻血も出ませんよ」。

別の知り合いは「こういうのはまず履歴書を人事に送るのが筋でしょう」。さんざん一緒に飲み食いして、ハワイにゴルフ旅行まで行った後輩にプライドを一蹴され、置かれている現実に気付かされたのだった…。

JR博多駅のすぐ近くに福岡県70歳現役応援センターがある。某日午後に覗いてみると、富裕のような50代から70代とおぼしき男性たちが仕事を求めて相談員と向き合っていた。

『55歳からのハローライフ』を読んであらためて考えたのは、定年後のその人の市場価値である。

会社の名刺で仕事をしていたときには粗末に扱われることはない。だが、会社を離れ外の空気に触れると、それまで名刺の陰で見えなかった自分の裸の力量が非情なまでに透視される。

職業紹介所での有名過ぎるやりとり。「何ができますか」「部長ならできます」―。こんなバカげた会話は実際にはないだろうが、売りを持たない中高年者は依然として多数派である。

かく言う私もこのコラムでは恰好つけて(正直それほどの意識はないのだが)、ジャーナリストを名乗っている。だが、実のところこんな大そうな肩書を使う実力も資格も持ち合わせてはいない。

現場に足を運んで取材し、渾身のルポを伝えているわけではない。エッセイや時事評論を3つの月刊誌に連載している駄文屋に過ぎない。記者時代、先輩から新聞社の垣根を超えて通用する記者を目指せ、と発破をかけられたものだが、とんでもない。

「ジャーナリスト」と言いながら、一方で「元西日本新聞記者」と書くあたりに、我が存在の中途半端性が見て取れるではないか。ありていに言えば、自分の今の市場価値に自信が持てないから前職の社名を尾っぽに付けているだけのこと、なのである。



馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト

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