世は万華鏡14・雨の都府楼跡を歩く

世は万華鏡14・雨の都府楼跡を歩く


雨の都府楼跡を歩く

所用を終えての帰路、太宰府市の都府楼跡を通りかかった。雨だったが、反射的に車を停め、広場を歩いた。辺りにはだれもいない。廻廊跡に歩を運んでいると、無限の時を遡っていくような錯覚に陥るのだった。

天平二(七三〇)年正月十三日、この近くにあった大宰師だざいのそち大伴旅人の邸で梅花の宴が催された。集まった32人の官人が梅花詠を残している。

旅人の一首

「わが園に梅の花散る
ひさかたの
天あめより雪の流れ来るかも」

春の訪れに華やぐ宴。しかし、旅人の心は晴れていなかった。これより少し前、妻を失い、悲嘆の海に身を沈めていたからだ。

「世の中はむなしきものと
知る時し
いよよますます悲しかりけり」

旅人が愛妻の死を悲しんで作った有名な歌である。これに部下の山上憶良はこう応えた。

「妹が見し楝あふちの花は
散りぬべし
我が泣く涙いまだ干ひなくに」

(妻が目にしていた楝の花も、もう散ってしまいそうだ。私の泣く涙は、まだ乾くひまもないというのに)

憶良が旅人の気持ちに成り代わって詠んでいる歌である。二人の深い心の交流が見て取れる。

旅人は間もなく、大宰府を去って奈良に帰任する。その途中に詠んだ一首が万葉集にある。

「我妹子もこが見し
鞆ともの浦のむろの木は
常世とこよにあれど見し人そなき」

(わが妻が見た鞆の浦のむろの木はあの時も今も変わらないが、木を見た人はもういない、この世には)

大宰府に赴任するときには妻が同伴し、ともにむろの木を眺めたことだった。その妻は…。旅人の脳裏には、妻の面影がむろの木とともに蘇ったに違いない。

さて、憶良といえば貧窮問答歌であり、次の代表的な長歌である。

「瓜食めば子ども思ほゆ
栗食めば
まして偲ばゆ何処より
来たりしものぞ眼光まなかひに
もとな懸りて安眠やすいし寝なさぬ」

憶良もまた妻を失った一人であった。そして、エリート官人でもなかった。この世を穢土と呼び、俗界の無常を知り尽くしながら、同時にその俗界での栄達や名誉への執着を絶つことが出来なかった。

逆に言えば、人間世界に対する抑えがたい情熱があったればこそ、血肉への愛や貧しき人たちへの労りを不朽の歌に残すことが出来たのだろう。

青丹よしの都から遠く筑紫に赴任し、出会った二人の天才歌人。その失意と望郷の日々を思う。雨はなお降り続いている。



馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト

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